沿革・特別寄稿
学会の沿革
日本皮膚病理組織学会の個人的な思い出
東北大学名誉教授
田上八朗 先生
早いもので、大学を退官し十年目も飛ぶように過ぎ去ろうとしている。悲しいかな、若かりし頃のことは茫洋としだして、記憶違いがあったりもするが、私なりの病理組織学の勉強と日本皮膚病理組織学会の思い出とを、ここに綴ってみたい。
皮膚科の臨床をしてゆくなか、身近で重要な情報や新たな発見を得ることの多い皮膚病理組織学の面白さは、医局の先輩、教本や文献を通して学ぶだけでは、独善的にもなりうる。自分自身を顧みると、幅広い視野が養える自由度の高い講習会や学会に参加したからこそ、身についたことが大きく、このようなユニークな機会があったからこそ、という感謝の想いが湧いてくる。
私は1966年、京都大学皮膚科で1年間だけの臨床修練をして,研究目的で米国へ留学した。二年半後に帰国してすぐ大学紛争がはじまり、無給医の居場所もなくなり国立京都病院に医員として就職した。大学とは違い、身近には生検組織の病理組織学的診断の指導してくれる上司もなく、当時はLeverの組織学の教科書だけを頼りに診断を確かめていた。
こういう状況を経験してきて一番の喜びであった思い出は,当時、大阪大学の講師であった三木吉治先生(後、愛媛大学学長)が,ユニークな皮膚病理組織学の講習会を企画されたことである。参加希望者達に、あらかじめ50枚の病理組織標本が配られ、それらを事前に自分自身じっくりと眺める。私の場合は、さらに、関西医大香里分院におられた今村貞夫先生(後に京大皮膚科教授)のところへ持参し、医員の米澤郁雄、荻野篤彦先生らと一緒に十分に検討を重ねた上で講習に臨んだ。その講習会の場では講義だけでなく、各人それぞれが用意された顕微鏡を覗きつつ、回って歩かれる講師陣に自由に質問をし、最大限に配布組織標本の検討をさせてもらえたので、まさに、実践的に身になる知識が得られた。その講師陣も全国から皮膚病理組織学に造詣の深い、のちに日本皮膚病理組織学会の世話人となられた先生方などで構成されていた。
このような講習会に出席し何度か修練を積むと、病理組織を積極的に調べてゆこうという意欲がまし、助手として京都大学病院で臨床や研究に従事する一方、教室に昔から蓄積されてきた膨大な病理組織標本の一つ一つを見てゆくことも大きな楽しみとなった。こうして,多発性の青年性扁平疣贅が全身から一斉に消退する時には臨床的に腫瘍免疫反応による発赤、腫脹とかゆみが起こり、その背景には疣贅の表皮をめがけ密な単核球浸潤が特異的に攻撃する組織像を示す現象をみつけ、British Journal of DermatologyやArchives of Dermatologyに論文を発表したり、さらには試験管内で疣贅組織を培養し、疣贅由来表皮へのリンパ球攻撃を証明した腫瘍免疫反応のin vitroの観察の論文をCancerに発表してきた。
また、乾癬や類似の無菌性角層下膿疱の発症機序の一連の研究は日本皮膚科学会皆見賞受賞にもつながった。いずれも、元はと言えば,臨床とそれに直結する病理組織標本の検討に基づいてのものである。
一方,全国的な皮膚病理組織学研究会が池田重雄、北村啓次郎、笹井陽一郎、中村絹代,西尾一方、本間 真,三木吉治先生など皮膚病理組織学に興味をもち、造詣の深い方々により毎年、企画されてきて日本皮膚病理組織学会へと発展し、それはまた小野友道、大原國章、木村俊次、木村鉄宣、熊切正信、斎田俊明,清水 宏、清島真里子、田中 勝、土田哲也、三原基之,山元 修先生などの若い世代へと引き継がれていった。
なにより、普通の学会と違い、この学会の会場には開催日の前夜と当日には朝から各提出標本に、それぞれ見合う数の顕微鏡が用意されていた。参加者自身でそれら標本を存分に精査することができ,気楽な質問や討論もできる形式がとられ、また、当日の発表に対する討論も徹底的に行われ,自由な雰囲気をもつ学会として運営されてきた。学会の場には皮膚疾患の病理学に強い興味をもたれた真鍋俊明先生や泉美貴先生など病理学分野の方々も出席されてこられ、皮膚科医とは違う面からの貴重なご意見も伺えた。
まさに、教育的にも実際の臨床の場にも非常に役立つ実質的な知識を発表と討論とから聞けるだけでなく、組織標本の観察や討論からも,多くのこと学び,成果を持ち帰ることができる独自な学会として、楽しく参加し勉強させてもらってきたという思い出が残る。