利休家康の場合
2023.01.07
過去の活動
柳原茂人 先生
鳥取大皮膚科・大阪市大皮膚科
皮膚病理が読める人、それは一家に一台、ならぬ一医局に一人欲しい存在であります。私はそれになりたい、と思うようになったのは皮膚科をローテートしていた研修医の時でした。皮膚を診て、診断、治療するという自己完結性をもった科として皮膚科に興味をもち皮膚科の門を叩いた私は、センスと経験により鋭く研ぎ澄まされた目をもつ熟練皮膚科医の診察は、黙って座ればピタリと当てる占い師か千里眼をもった仙人の超人的な技術であるかのように思っていました。ある日、ベテラン先生の診察につかせていただいた時「目だけでみて分からないので、今から皮膚を取って顕微鏡の検査に出しますね。」と、慣れた手つきで同意書をプリントアウトし、慣れた口調で生検の説明が始まりました。処置室へ行くと若手先生が1日何件もの皮膚生検をしています。朝の病理勉強会では、皮膚病理を得意とする先生が病理所見を読んで解説してくださいました。顕微鏡を覗くと青と赤の世界の中で小さな細胞たちがひしめき活動の一片をみせています。腫瘍細胞は自身の増殖のために必要な栄養を取り込むために周囲の血管を増生させたり、生体側は腫瘍細胞が入って来ないように炎症細胞を向かわせ防御する。というように細胞の集まりが組織として、あたかも意志をもつように変化する。たった1cmぐらいの深さで繰り広げられる世界に魅せられました。先輩の言った言葉、「目だけでみても分からない」というのは、皮膚科医としての敗北宣言ではなく、「上から見ても見えないものを横からも見てみる」という真の意味があることを知り、皮膚科への興味がさらに加速したのを覚えています。
病理学の中で皮膚病理の分野は一段ぬきん出ていると言われます。皮膚は体表にあるため採取しやすく、腫瘍だけでなく炎症疾患も簡単に採取されるため、評価すべき疾患も多くあり研究者も多く、そのために様々な知見が得られ様々な学説が生まれたりするのでしょう。皮膚科医が病理部の先生よりもうまく読めたりすることもあります。また、皮膚科医がしつこく病理部に通って熱い議論を戦わせたり、細かい指示をするので煙たがられることもあると思います。欧米では、専門のトレーニングを積んだ皮膚病理医という専門医の制度もあり、その人たちがつけた所見はそれなりに尊重されるようです。皮膚の病理を語るには、皮膚の臨床も知っておかなければならないということだと思います。
皮膚科に入局して分かったのですが、皮膚病理の世界も難解であり、所見を一所懸命みて議論を重ねても診断に至らない例もあるということを知りました。誰もが首をひねっても出ない答えを、偉い先生が診て「こうだ!」と言えばその通りの診断になってしまう場面もありました。知識と経験がないので反論できなくて悔しい思いをしたこともあります。ほっておくと朝の皮膚病理勉強会に参加する人が減っていきます。若い人たちは病理当番に当たると「ひぇ~!」と悲鳴をあげています。皮膚病理、暗く、泥臭く、儲からない商売であります。しかもそう簡単な分野でないことは分かっています。しかし、患者さんのため、医学のため、医局には病理が読める人が一人は必要なのだということが分かってきました。私は細胞達との会話からそれらの意志を聞き取り、それを翻訳して主治医に伝えることができるような皮膚病理医を目指したいと思います。